紫緑会の沿革


京都大学医学研究科附属総合解剖センター
技術専門員 戸田好信

 昭和50年に京都大学医療技術短期大学部が設立され、昭和54年に専攻科、看護学科、衛生技術学科卒業生、教官、有志により、京都大学医療技術短期大学部同窓会が発足しまた。その時に名称の募集を行い、第三代主事(学部長)であった冨田仁先生より紫緑会という名称のご提案があり、皆の賛同が得られて決定しました。検査分野では有名でありますが、国際カラー色という取り決めがあり、そのなかでは7が紫、5が緑になっています。短期大学部は昭和54年(1975年)に設立されたので1975の75をとって紫緑会と命名なされました。紫は古き都を表し、緑は若きエネルギーを表現すると、冨田先生の深いお考えが含まれています。

昭和54年第1号より毎年1冊同窓会誌「紫緑会」を発刊しました。第1号から3号までは数ページのものでしたが、昭和57年第4号より内容を充実させ、また同窓会名簿を併せて掲載するようになりました。昭和57年度に理学療法学科、作業療法学科の新設が認められ、卒業生、住所変更者の増加、連絡がなく住所不明者の増加、会費納入率の低下、携わる同窓会役員の減少など種々の問題が発生してゆき、卒業生が2000名前後になり、昭和63年第9号の発刊をもって同窓会活動は休止状態のまま数年過ぎてゆきました。当初から同窓会会長は医療技術短期大学部主事(学部長)にお願いしていましたが、平成7年3月に当時の学部長であられた高橋部長より、現状を踏まえて新たに規約改正などを行い、再出発しましょうという事で、平成8年4月より会長は卒業生が担い現体制へ再編しました。再編後の最初の会長は2年間戸田が行い、新たな体制下の基盤を編成しました。その後は歴代会長のご尽力により、順調に活動が行われてきていますが、これから数年が重要な時期に来ているといえましょう。

平成21年5月現在

歴代紫緑会会長
(第1代から第8代会長までは短期大学部主事、部長)
第1代会長:熊谷直家
第2代会長:冨田 仁
第3代会長:内田耕太郎
第4代会長:大塚哲也
第5代会長:小西 昭
第6代会長:齋明寺央
第7代会長:上羽康夫
第8代会長:高橋清之
(第9代会長から現在まで卒業生)
第9代会長:戸田好信
第10代会長:後田 穣
第11代会長:松本茂樹
第12代会長:中嶋文子
第13代会長:島 浩人
第14代会長:上野裕達
第15代会長:桂 敏樹